寄せられた声

●大変お世話になりました。とても楽しい沖縄生活だったようです。沖縄に永住したいと言っていました。(中略)しかし親の都合で、子どもが犠牲になったと同じです。内部被曝も微量ながらしておりました。いつも外にいる子どもだったのでとにかく、思い切り遊ばせてあげたいと思い参加しました。この様な活動をしてくれるすべての方に感謝致します。本当にありがとうございました。今後とも、福島の子どもをよろしくお願いします。感謝の気持ちでいっぱいです。

●私は現在、いわき市に住んでおり、5歳と3歳の娘がいます。ここで暮らす、ということは、毎日が不安との闘いです。安全な所に移住できればいいのかもしれませんが諸事情でそれが難しい。でも、ここで暮らしていいのか、原発事故直後は、放射能に関する知識不足で、こどもたちに無用な被曝をさせてしまったのではないか、などなど、毎日、いろんな思いが頭の中をかけめぐります。球美の里では、子どもたちは今の福島でできないことを思う存分楽しみました。葉っぱを拾ったり、虫を捕まえたり、裸足で歩いてたかと思うと、泥遊びをはじめたり。上の子は、顔にアトピーが出ていたのですが、球美の里で過ごして何日かして消えてしまいました。きれいな空気の中で、子どもたちの心も体もめいっぱい喜んでいたのだと思います。

●4歳と1歳の子どもとともに第4次保養に参加致しました。遠くへの移住も考えましたが、家族の問題、金銭的なことなどを考えた末、これからも福島県で生活することを選びました。そのために、子どもを放射能被害から守る方法を考え、その一つが長期保養でした。行く前は、不安で一杯でしたが、子どもたちも私も、太陽と海からたくさんのエネルギーをもらいました。今考えると、福島での生活は制限がありすぎると思います。外遊びを控える、水や野菜など食べ物に気を付ける。あれから1年半、なんとなく当たり前になってきた生活も、久米島で、子どもが喜んで海に入り砂で遊んでいる姿、太陽の光を浴びて、追いかけっこしたり、転がって血が出て泣いている姿、木に登ったり、虫を捕まえたり、花がキレイだから誰かにプレゼントしたいと考えている姿を見て、やっぱりこれが必要だと思いました。

●長期避難ができないので短期間でも放射能の低い所で過ごしたいと思い参加しました。一番の思い出は、子どもが外遊びを思い切りできたことです。何も気にすることなく、きれいな海、空気のもとで過ごせたことがいい思い出になりました。このような保養をさせていただいたことに感謝しています。

●第2次の保養に参加しました。3歳と6歳の娘がいるのですが、ここに住んでいていいのかな?と不安なままずっと生活をしていました。いろいろ本を読んだり、これからどうしていこう、と考えていた時に本の中で保養が有効とあったので参加しました。球美の里に行って驚いたのは、そこで子どもたちが裸足で歩き始めたことです。普段だったら放射能がなくてもそんなことはしないのに、それを見てすごく自然にふれたいんだなということにびっくりしました。一人の子どもが屋根に靴をあげてしまって、違う靴にひもを結びつけてそれを放り投げて取るということをみんなでやったのですが、それが子どもたちに大人気でした。その靴を取り終わってから、子どもたちはそれを応用し、近くにあったシークワーサの木に投げてシークワーサを取るという遊びが始まりました。しかも取ったシークワーサをそのままで食べるということができ、今の福島ではありえないことだったので、本当に子どもたちにとっては楽しかったんじゃないかなと思いました。

●球美の里に参加した最初の1週間は体調をくずしてしまったのですが、残りの1週間は海に入れたし、気にせずに砂場で遊べて、自然もすごくきれいで。食べ物もすごくおいしいし、スタッフのみなさんにも救われました。パパがいなかったのは残念だったけどいい思い出ができました。